PUフォームの歴史

今回は弊社がお世話になっている『PUフォーム』の我が国における歴史をご紹介したいと思います。

PUフォームとは、ポリウレタンの泡を指します。

そう『FPウレタンパネル』を構成する重要な材料です。

以下、日刊工業新聞社 刊/岩田敬治 著/ポリウレタン樹脂ハンドブックの一部抜粋となります。

我が国のPUフォームの歴史は、1954年、井上護膜工業が、その製造販売を目的にエム・テー・ピー化成(株)(現在の井上エム・テー・ピー化成(株))が設立され、1955年9月に月産30トンのプラントが完成したのが最初です。

同社は1957年10月にドイツBayerAG社からの技術導入を申請し、曲折を経て1958年5月に政府の認可がなされました。

その後1960年4月には東洋ゴム工業(株)がアメリカGeneralTire社より

同年8月、ブリヂストンタイヤ(株)(現(株)ブリヂストン)がBayerAG社より

同年末には、日清紡績(株)が自己技術によって(1962年アメリカAdmiral社より技術導入)

1961年9月に横浜ゴム(株)がBayerAG社技術を導入(その後、ハマヤブレン化工(株)に譲渡され、現在は井上エム・テー・ピー(株)に商権移行)

同年日本アスベスト(株)がイギリスICI社より、硬質フォームの技術導入を行いました。

さらに12月には東洋護膜化学(株)がBayerAG社より

1962年5月に興国化学工業(株)(現アキレス(株))

同10月に倉敷紡績(株)が、それぞれイギリスICI社から技術導入し、現場稼働を始めています。

他方において、同年10月には東邦化学社が

同年12月には世界長(株)が、硬質フォームの製造ならびに原液販売を、三井東圧化学(株)とアメリカdu-Pont社との技術提携契約のサプライセンシーとして、政府認可を得たのち開始しています。

1963年8月には積水ウレタン工業(株)が、その2年前に旭化成(株)がアメリカ・フィリップフォスキュー社から導入した技術を譲り受け、軟質スラブ発泡設備を持つに至りました。

さらに1966年には松下電工(株)がBayerAG社より自消のため硬質フォームの発泡形成・施工技術を導入。

この辺で大手フォームライセンシーが出揃いました。

1961年1月以降、BayerAG社とdu-Pont社は、PUの発泡技術の日本特許に関し係争していました。

1963年5月に両社はクロスライセンス協定を結び、翌年11月に両社のディストリビュターであるバイエル・ジャパン社・三井東圧化学(株)と上述フォームメーカー13社の間に再実施権契約が成立。

これ以降、諸外国では例を見ない、いわゆるサブコントラクター制が実施され、原料メーカーが自由に自社原料を新規ユーザーに売れないネットワークが形成されました。

ただし、これらの特許の有効期間はすでに終了しているので、今日かかる問題はまったく無くなっています。

とかく悪いイメージを持つこうした制約ではありますが、日本のPU原料メーカーにとって非発泡製品市場の開発の大きな原動力となった事も事実なんだそうです。

私が産まれる前の話なんですね。

思っていた以上に古い技術だという事を知りました。

ビッグネームも沢山出て来て、往時の熱気みたいなモノを感じました。

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