水に流したいはなし

こんにちは

ホッピーレッドです。

今回は、水に流したいはなしを・・・

 

中世ルネサンス時代の王様は、一つの城にじっとしていることは少なく、たえず城から城へ渡り歩いていた。

16世紀のフランス国王フランソア1世など、32年の統治の間なんと国内の728箇所に滞在し、

1箇所の滞在期間は長いものでわずか10日間だったという。

のちの絶対王政の時代と違って、当時はまだ国王の権威が国内の隅々まで浸透しておらず、国王は直接地方のあちこちに赴いて、

国王の座威光を誇示する必要があったことが、その主な理由だ。

けれどもう一つ重大な理由がある。一つの城にあまり長く住んでいると、その城があまりに不潔になってしまうからだ。

 一つの城に何百人も生活しているのに、洗濯女はわずか二人。めったに風呂にも入らない不潔そのものの生活で、

1箇月もするとお城にはうじがわきとても住めたものではなくなった。

17世紀のルイ14世が、それまで住んでいたパリのルーヴル宮殿をあとに、ヴェルサイユ宮殿に引っ越してきたのも、

ルーヴル宮殿が汚物まみれになったため、とても住んでいられなくなったためだとも、言われている。

ところで、ヴェルサイユ宮殿はトイレがないことで有名だが、実は全然なかったわけではない。

ルイ15世は寝室の隣室に、あげ蓋式の便器を持っていたし、ルイ16世は水洗式のトイレまで持っていた。

けれど、それ以外には、274個の太鼓型の穴あき椅子があっただけだ。それには赤や青のダマスク織りやビロードのカバーがしてあった。

やはり5000人に274個とは、いささか少なすぎる。

そこで近くに便器がないときは、廷臣たちは庭の茂みでジャーッとやるか、それとも間に合わないときは、廊下や部屋のすみで用を足した。

貴婦人たちでさえ、庭のすみで用を足すなど日常茶飯事だった。

それにはあの、釣鐘型の大きなふくらんだドレスが、大助かりだった。

だから庭の中はもちろん、宮殿の階段や廊下のすみなど、人目につきにくいところには、あちこちゴロゴロへんなものが転がっていたという。

そこで清潔好きの者は、陶製の携帯便器を持参した。25センチほどの大きさで、把手のついたカレーライスのポットのような形をしており、

把手をもって股にはさんで用を足すのだ。だが、携帯便器で用を足すまではいいが、中身は従者が庭に捨ててしまった。

そればかりか、宮殿内の便器の中身も庭に捨てたものだから、ヴェルサイユ宮殿ははたちまち、通路や中庭や回廊に、尿や糞便があふれ、

宮殿の中も悪臭がプンプンというほどになってしまった。

ヴェルサイユ宮殿の舞踏会は、糞尿の香りの中で行われたわけだ。

19世紀に、ある一人の老婦人がヴェルサイユ宮殿の庭を散歩していると、木陰で一人の男が立ちションをしているのが見えた。すると老婦人は

鼻をハンカチで抑えながら、「ああ、良き時代を思い出すわ」とため息をついたちいうから・・・、実情はおして知るべしだろう。

凄い話でしょ

これ、

やんごとなき

姫君たちのトイレ

桐生操 著

角川文庫

という本の中に出てくるお話です。(もちろん、画像はこちらで勝手に挿入しました)

こんな、薄絹のベールに包まれていた、やんごとなき姫君たちの秘められていたお話がいっぱい載っています。

話のネタにいかがでしょうか?

 

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 posted by t.arai 

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