釘を刺す。

相手が約束を破ったり、言い訳をしたりする事がないように『釘を刺す』

予め相手に言い聞かせる事だが、釘を刺すという言葉を額面通りに受け取ると、物騒な言い回しに聞こえる。

だがこれは、釘を打ちつけて建築物の構造を固定する事から転じて、予め念を押すという意味で使われているのだ。

古来日本の木造建築は、材木と材木を接合するにあたり、主に柄穴(ホゾアナ)を空けた材木に柄をつくった別の材木を嵌め込む『柄組み』という工法が使われてきた。

それが鎌倉時代の頃から柄組みで組んだこの接合部に念のため、さらに釘を打ち込み、動かないようにした事が、新たな工法として根付き、先述のような『喩えの表現としても使われるようになったのだ。

当時の釘は当然『和釘』で、断面は角張りその先端は剣先のようになっていた。この為柄穴には予めスムーズに釘が刺し込めるように加工が施されており、『釘を打つ』というより『釘を刺す』という表現になったのであろう。

 和釘

今では釘を打つという言い回しも、同様に念押しの表現のひとつとして使われている。

ここで釘の変遷と和釘の歴史をおさらいしておこう。

釘は初め木や竹で作られ、後に金属製が主流となった。

紀元前2000年頃に青銅や銅の釘が古代オリエントやヨーロッパで出現。

紀元前1000年頃にアナトリア(現在のトルコ)で鉄釘が生まれ、紀元前500年頃に中国にも鉄釘が登場した。

日本では紀元200年頃、いわゆる弥生時代中期の鉄釘の遺品が出土。7世紀以降の古墳からも続々と出土が確認されている。

日本で鉄釘といえば、明治時代に洋釘が輸入され、その後工場生産による国産化が始まるまで、胴部の断面が四角く細く尖った形状に鍛造された和釘が主だった。

鍛造による和釘は大型で錆びにくく丈夫なので、宮殿や寺社、船舶の建造に用いられた。

法隆寺に75センチもの長さの和釘が使われたのは、よく知られた話だ。

和釘はその後、洋釘に取って代わられ、その需要は今では寺社建築の再建・修復や数寄屋造りの日本家屋などが主流となっている。

その和釘、技術消滅の危機があった。

法隆寺を甦らせた1934~1954年の大修理時代、すでに古刹再建に必要な和釘は鉄道に使う犬釘を鍛造する鍛冶職人に頼らざるを得なかった。

当時はまだ、鉄道の枕木を押さえる犬釘を鍛造する鍛冶職人がいたのだが、枕木がコンクリート化し需要が途絶えた事でそうした職人も減ってしまっていた。

  犬釘

そんな状況下、1970年代の薬師寺西塔の再建に使われた和釘を鍛造したのは、土佐鍛冶の職人だった。

求められたのは、『千年もつ檜の柱と共に永らえる鉄釘』

大手鉄鋼メーカーの文化遺産継承への理解もあって、古代鉄の原料が提供され、西塔再建用の和釘、約7000本を鍛造し西塔は再建される。

さらに薬師寺回廊、大講堂の和釘も鍛造したという。

その後和釘の技術伝承は何とか維持されているようであり、ひとまず安心。

材木や板などの接合部分を固定する役割を果たしてきた釘は、古くから人々の住まいに密接に関わっている事もあり、釘を用いた表現は今も数多くある。

釘が利く

釘が応える

という言葉は、確かな効き目がある。意見をした事の効果がある。という喩えであり、釘の効用を長所として捉えた表現である。

悪筆を釘折れ・金釘流というのは、下手な文字が折れた釘や金釘を並べたさまに似ているという理由で生まれた言い回しである。

 

家売れば釘の値

という諺があるが、これは住宅の上物としての価値の低さを端的に評したもの。

そんな事にならないよう、釘を刺し、訪れる人がその心地よさに釘づけになる家づくりを心掛けたいものである。

いかがでしたでしょうか。

心地よさに釘づけになる家をつくるためには、断熱性能及び気密性能の高める必要があります。

こうした家を作るためには、釘の打ち方や穴の処理方法も重要になります。

そう言えばぬかに釘なんて諺もありましたね。

高断熱・高気密住宅の必要性をいくら語っても理解しようとしない方々には、まさにぴったりの言葉かもしれませんね。

  

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  posted by Hoppy Red

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