神様の家

せっかくの休日ですが、たわいも無い話にお付き合いください。

縄文人のすまいは一般に『竪穴式住居』と呼ばれる。

昔は『室』や『伏屋』と言われた。

地面を掘り窪ませて床とし、その上に煙出しのある入母屋風の茅葺屋根などをかけた半地下式住居だからだ。

周りには水除けの土盛りも作られた。

 ご存知、竪穴式住居の画像です。

そのすまいは南側に入口があり、跳ね上げ式のムシロを扉にしている。

中は10畳前後の方形もしくは円形空間で、中央に炉が切られている。

初期には地面を掘っただけの『地床炉』だったが、のちには『石囲炉』が現れる。

地床炉は今日確認しにくいが、その利用は尖頭土器を用いれば容易だったろう。

もっとも屋外にも炉があって煮炊きの用に供されただろうが、屋内にも炉が無かったら、ものの煮炊きだけでなく、室内の照明も暖房も出来ない。

茅葺屋根なども4・5年で腐ってしまう。

しかし炉が出来ると、炉の煙が火棚の上の肉や魚を燻製にしてくれる。

家中の虫やバイ菌を殺し、オオカミなどの襲来も防ぐ。

また大切なのは、炉の火を埋火にして『床暖房』が出来た事だろう。

竪穴住居の床下の地層からしばしば植物繊維などが発見されるが、それは埋火によって床を暖めたものだろう。

植物繊維が保温効果をもたらすからである。

さらに屋外では粘土を焼いて土器を作ったり、狩猟に火を使ったりしたから、その埋火を種火としたのではなかったか。

実際、雨の日や湿度の高い時に火打石や火錐杵で火をおこすのは大変な仕事だからだ。

 

このようにして北は北海道から南は九州・沖縄に至るまで、各地の風土を無視して竪穴住居という北方建築型の閉鎖式住居が作られたが、それは人間の住居というより、人々にとって大切な火を雨や風から守る『種火の保存場所』ではなかったかと思われる。

実際「住居内ではあまり煮炊きは行われなかった」という報告すらある位だ。

食物の煮炊き以上に、屋内の火は重要な意味を持っていたのだ。

さて炉の奥をみると、そこにしばしば『祭壇』が設けられ、立石などが祀られたようだ。

石棒や土偶なども発見されている。これらも呪具もしくは聖具である。

また住居の入口の床下にはしばしば埋甕があり、死んだ子供が埋められたりする。

それは墓地というより、その家の『母子結合』の思いの強さを示す絆であろう。

竪穴住居は、私には母子結合のモニュメントのように思える。

とみてくると、竪穴住居は単なる人間の住居空間というよりも『聖なる空間』であり、その中心になるものが炉の種火である。

とすると、種火は縄文人にとって『神さま』であり、不絶火は竪穴住居の本質を示すものではないか。

竪穴住居は縄文人の『神さまの家』になったとわたしは考えている。

新潮新書 刊/上田篤 著/縄文人に学ぶの中より、その一部をご紹介しました。

古代史好きの私にとっても、縄文人はまだまだ未知の存在です。

思っていた以上に理知的であり、その生活振りは現代人とそう大差ないようです。

住宅建築を仕事にしている私にとって、縄文人の住む竪穴住居は知れば知るほど科学的であり、その高性能さには驚くばかりです。

機会があれば、この辺りの事もご紹介できればと思いつつ、今回は締めたいと思います。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

  

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  posted by Hoppy Red

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