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現代人の認識でいえば高級第一等の木はヒノキで、スギはヒノキに劣るとされている。
スギ産地の人々は不満かも知れぬが止むを得ない事で、国有天然材に官材の称が与えられているのは木曽ヒノキ(尾州ヒノキ)のみで、他の物は全て官木といわれているところからもヒノキの優位性が証される。
しかし、木材利用の立場から言えばヒノキよりスギの方がずっと古い。
スギは縄文・弥生の頃にすでに用いられていたが、ヒノキはその頃あまり用いられていない。
ヒノキを用いた例で最も一般的に広く信じられているのが伊勢神宮の例であるが、伊勢神宮の起源は良く判っていない。
日本書紀によれば、「垂仁天皇25年(紀元前3年)天皇天照大神を倭姫命に託して之を伊勢の渡会郡五十鈴川の上に遷して神宮を建てしむ」とあり、これを信じ、かつその用材がヒノキであったとすれば、今から約2000年前にヒノキの使用例があった事になる。
さて、現在残っている一番古い建造物は法隆寺であるが、これは仏教伝来後の寺院建築で(初建は607年)、仏教伝来以前にいわゆる宮殿建築が行われていた事が考えられるが、これも日本書紀によればその始めは応神天皇22年(120年)の摂津難波の大隅宮だとされている。
今から約1860年前である。この大隅宮の用材がスギかヒノキかはもちろん不明であるが、法隆寺の建造はそれより約500年後という事になる。
仏教伝来以前の我が国の建物は全て掘立柱式で、柱は土中に埋められるから腐朽が早く、その点でスギとヒノキの優劣の差が飛鳥時代には、はっきりしていて主として建築物にはヒノキが多用されるようになったのであろう。
法隆寺の修復や、薬師寺の再建で昭和最後の宮大工と言われている西岡常一氏は、木の建物になってからの寿命は、それが地上に立っていた時間と同じだと言っています。
樹齢2000年の樹は2000年ももつと言っています。
法隆寺のヒノキの柱は樹齢約2000年の大径木だそうで、保存さえ良ければ今後もう700年はもつ訳で、千葉大学の小原教授がそれを学術的に証明しています。
これらについて西岡・小原両氏は「法隆寺を支えた木」(日本放送出版協会刊)で詳説しておられます。
気に対して興味をお持ちの方の必ず一読すべき本です。
縄文時代に刳り舟にムクノキやカヤを使った例があり、クスノキも多く用いられたようである。
縄文時代や弥生時代前期の農耕の確立していない頃には狩猟が多く行われたが、その主役である弓にはイヌガヤやヤナグワなどが用いられていた事が考古学上明らかにされている。
農耕時代に入って木製の農具にカシ類が、脱穀具にはケヤキやサクラなども使われていた。
以上のほかに古代に多く用いられた木としてマキが挙げられる。
日本書紀の素戔嗚尊の説話として尊のひげと胸毛を撒き散らしてヒノキ・スギ・クスノキ・マキの4樹が生えた話は有名であるが、尊はその時ヒノキは宮殿に、スギ・クスは舟に、マキは棺に用いよと言ったという。
マキはもちろん針葉樹で一見何の特徴もないような凡材であるが、耐水湿性が大で腐朽しない事はヒノキより数段上である。マキを棺材に用いる事は日本よりむしろ中国・韓国で有名で、中国には「人が生まれたらマキを植えよ、そして死んだらその木で棺を作って葬れ」という話があるという。
ちょうど日本で、「娘が生まれたらキリを植えよ、娘が嫁ぐ時にはそれで下駄やタンスを作って持たせよ」という話に似ている。
日本でも近畿中国方面の古墳から出土される棺材にマキが多い事は考古学的に明らかであるし、先年出土した中国長沙の馬王堆の棺材がマキであった事をご記憶の方も多いと思う。
ともあれ素戔嗚尊の御託宣ではないが古代においてスギ・ヒノキ・クス・マキの4材が多く用いられた事は、この4種がそれぞれに他材にないすぐれた特徴を持っており、古代人がその特徴をよくわきまえて、適材適所に用いた事が伺える。
日本工業新聞社 刊
新装 日本の木・世界の木/木材利用の今・昔
成田寿一郎 著
の一部をご紹介しました。
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