白い粉が身体を蝕む?

仕事から離れると、途端に話題が無くなります。

これでは、将来が心配です。

もつと、幅のある趣味を持たなくては・・・。

昨日に引き続き、化粧の話です。

なぜ私が化粧ネタ

まあまあ、いいじゃないですか・・・。

16世紀イギリスの女王エリザベスは、なんと1.3センチもの厚さに白粉をこってりと塗っていたと言います。

これでは、いわば白粉の仮面をつけているようなもの。それこそ1年でどけだけの量の白粉を消費していたのでしょうか?

白粉と言えば、我が国でも昔から作られていて、『日本書紀』にも観成という僧侶が713年に白粉を初めて作ったという記録が出ています。

 ご存知、清少納言です。

平安時代にも、清少納言が『枕草子』の中で「すさまじきもの」のひとつとして「老女の化粧」を挙げています。

老いた女が年甲斐もなく白粉を塗りたくっているのは、みっともないと言っているのです。

 白粉を塗る女性

江戸の遊女達は鉛白か唐の土で作った白粉を塗り、紅花か鉛丹で作った口紅を塗り、爪には紅花で出来たマニキュアやペディキュアを塗っていました。

 鉛白

 ベニバナ

 鉛丹

当時は薄化粧が流行りだったそうですよ。

恥毛の手入れも欠かさなかったそうです。密生すれば線香で焼いて間引きし、毛を酢でもんで柔らかくし、カットしました。

局部の化粧も忘れず、麝香や竜涎香などの匂い袋を膣の奥に潜ませ、着物にはきゃらを香らせました。

避妊のために小杉紙という上質な漉き紙を口内の唾で丸めて、局部に詰め込んだといいます。事が終われば腰湯を使い洗浄しました。

明治時代になると、鉛粉の白粉の作り方が西洋から伝わってきました。

大正時代に亜鉛華や酸化チタンを原料とする白粉が作られるようになるまでは、有毒な鉛毒のせいで命を落とす人も少なくありませんでした。

 亜鉛華

毎日白粉を塗って舞台に立つ歌舞伎俳優や芸者の中には、特に白粉による鉛毒の被害者が多くいました。

命を落とすところまではいかないものの、長い間には顔の皮膚が赤黒く焼けてしまう事がザラにありました。

現代では亜鉛華や酸化チタンが主原料になった為、そのような悲劇は無くなりました。

 

白粉ってオシロイバナの種子から作るものだと思っていました。

鉛から作るなんて・・・。何とも恐ろしい感じですよね。

ちなみにオシロイバナの根や種子には窒素化合物のトリゴネリンが含まれていて、誤って食べると嘔吐や腹痛、激しい下痢を起こすそうです。

化粧も命懸けだったんですね。

GW休暇も残すところ、あと一日です。

天気も良いようですね。

命懸けでのんびりしましょう!

えっ!そんな言葉ない?

ごもっともです・・・。

命懸けでホッピーしよう!

もマズイですよね・・・。

  

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  posted by Hoppy Red 

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