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今日は第1火曜日。
アセットフォーはお休みです。
早速の梅雨空、気が滅入ります。
雨が降らなければ、水不足で困る事になります。
わかってはいるんですけど・・・。
都合よく、夜だけ降ってくれればいいと思うんですが・・・。
昼間は太陽、夜は雨。
陽と陰をうまく使い分けていただければ・・・。
我儘ばかりいっても仕方ありませんね。
気を取り直して、こんな話はいかがでしょうか。
谷崎潤一郎が綴った伝統美の話です。
建築家や照明デザイナーはもとより、芸術・文化・デザイン全般に関わる人たちに広く読まれているテキストがあります。
文豪谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』です。
光が生み出す『陰翳』というテーマで日本の伝統的な美意識について捉えたこの随筆は、日本文化の特質を解き明かす最適の文献として海外でもよく読まれているといいます。
建築や照明などについての記述も多いことから、『陰翳礼讃』という言葉は日本古来の伝統的な住まいの特徴を示したキーワードとしても定着しているようですね。
この中で著者は、建築・照明・和紙・漆器など日本古来の食器・和食・さらには化粧や能・歌舞伎などの衣装に至るまで、暮らし全般について言及しています。
例えば、日本独自の空間である座敷について「ひとつの墨絵に喩えると障子は最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分となる。」
「障子紙のほの白い反射が、床の間の濃い闇を追い払うまでには至らないが、こうした座敷に漂う光は普通の光とは異なり、重厚でありがたみを感じる。」という旨をのべています。
このような調子で著者は日本の伝統的な衣・食・住について『陰翳』の観点から、独自の美意識で考察を展開しています。
そもそも『陰翳』の陰とは光の当たらない部分、つまり影です。
翳(さしばと読みます。)は元々鳥の羽や絹を張ったうちわ形のものに長い柄をつけた道具です。
貴人の外出時や、天皇が即位・朝賀などで高御座(たかみくら)に出る時に従者が顔を隠すのに用いました。
これによってできた翳りを指し、厳密には『陰影』とは異なります。
現在では同じ意味で使われていて、絵画では明度の対照効果によって光と影が織りなす微妙な立体感を表現する手法を『陰影画法』と言っています。
映像や撮影の世界で、ライトを当てて被写体に「陰影をつける」というのは立体感をつけ、存在感を示すテクニックです。
「陰影に富んだ文章」といえば、深みや趣がある文章表現である事を表しています。
『陰翳礼讃』が執筆された当時、すでにテクノロジーの発達で街頭にはガス灯や電燈が点き、家の中でも照明で部屋の四隅まで明るく照らし出されるようになりつつあったと言います。
著者はこうした便利さを享受する一方、暗がりの中で独自の進化を遂げた『日本の文化の特質』を人々が忘れ去ることを危惧したのではないでしょうか。
そうして『陰翳』をテーマとする斬新なアプローチで日本の文化を解析し、陰影に富んだ文章を綴って警鐘を鳴らしたように思います。
『陰翳礼讃』では冒頭
「普請道楽が純日本風の住まいを突き詰めると、電気・ガス・水道といった設備や電気コードの処理・扇風機やストーブの置き場などを、家屋と調和させるのに苦労する。」といった言葉が語られています。
現代の住宅にも通じるエアコンや配線類などをどう納めるかといった葛藤が、当時でも論じられていることが窺い知れます。
また暮らしを快適にする照明や暖房といった文明の利器をすべて否定したわけではないようですね。
彼自身、昔の行燈に電球を取付けたり、大きな炉に電気炭を仕込んだ今でいう電気コンロを暖房の代わりにしたり・・・。
日本家屋との調和のために微笑ましい工夫をしていました。
こうした『陰翳』を住まいに採りいれるためにはどうすればいいのでしょうか?
著者は随筆の最後に「試しに電燈を消してみることだ。」と述べています。
例えば・・・
2灯の照明を1灯にする。
カーテンやブラインドを開けて陽光や月光などの自然光を採りいれる。
部屋全体の照明を暗めにし、電気スタンドやキャンドルなどを併用する。
などを行い、『陰翳』の良さを実感する必要があると思います。
調光機能付の照明器具ならば手軽に『陰翳礼讃』を楽しめるかもしれませんね。
隅から隅まで明るいだけの住まい、そろそろ考え直す必要があるのでは・・・。
荒田雅之 著/段取りの段はどこの段?/新潮新書より一部、抜粋・加筆修正させていただきました。
posted by Hoppy Red
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